もう25年前の話です。
私は、東京の新橋に焼き鳥やの屋台がでていました。
時々会社帰りに途中下車して、1杯飲んで帰りました。
常連さん達とも直ぐにお友達になり
次のお店行こうとよく誘われました。
誘われたお店が、自分でお金を決めるお店でした。
座ったら勝手に料理が運ばれてきます。
素晴らしい料理の数々
誘ってくれた人は毎回1万円払っていました。
私は安月給だった為に半分も払えませんでした
女将さんから、儲かったら貰うから大丈夫よとも言われました。
それでもみんなお客様のこと同等に扱ってくれて良いお店でした
私はいつも、そんなには払えないので申し訳なかったです。
だから、月に1回ぐらいしか誘われても行きませんでした。
数10年前に1人でそのお店に行ってみると
お店は無くなっていました。
そしてある事件があってからは
ほとんど新橋には飲みに行かなくなりました。
25年前屋台で飲んでいると
ボーリングしようという話になりました。
屋台の親父も夫婦そろって来たいと
土曜の晩、私も妻を連れて
みんなでボーリング大会
総勢12名だったような
愉しいボーリング大会も終わり
みんなで飲もうとあるお店に入った時のお話です。
屋台の親父が酔っ払い過ぎて
本音(裏話)を話しました
屋台は道路を不法占領しているので
警察官から反則切符切られる
切られるだけならまだ良いが
その日は営業が出来なくなります。
その反則切符切る警官はいつも同じ人だと
その警察官が非番の時しかお店開けないと言われました。
それで、わかりました、時々行くと営業していなかったです。
それだけではなかったんです。
もっと怖い人がいます。
ヤ〇ザさんです。
材料をここから買わないと、〇〇出来なくなりますよ
親父が買ってくるルートよりも安い
仕入れ先がわからないのは不安だと
しかも売り上げの20パーセントは、場所代として取られていると
来月からは売り上げの30パーセントを徴収しにくると
もう屋台は辞めると泣き崩れました。
警察とヤ〇ザの顔色見て生活するのは疲れたと
楽しかったボーリング大会は
屋台の親父とのお別れ会に変わりました。
屋台がなくなってからは、途中下車はなくなりました。
なにか、やりきれません。
ありがとうございます♪
茶まん
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