離婚の条件

とある夫婦の感動する話。仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。僕は冷静に、その言葉を口にした。妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」その夜、その口論のあと僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。

それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。妻のことは、、、もう愛していなかった。ただ哀れんでいただけだったのだ!深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。でも自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。これで離婚は確定だ。

この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、これでとうとう現実化したのだ。その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。

深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。その理由は明確だった。僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているためできるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。それに関しては、僕は即座に納得した。だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして毎朝、彼女が仕事へ行くときに彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

僕は「ジェーン」にこのことを話した。ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにとジェーンは嘲るように笑った。僕が「離婚」を切り出して以来僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。なので彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。寝室からリビングへ、そして玄関口へと僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら心はひどく動揺していた。妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝初日よりは少しは慣れた感があった。抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。そして思った。こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。その顔には細かなシワが刻まれ髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。その一瞬、僕は自問した。

「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。4日目の朝彼女を抱き上げたとき、ふとかつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。この人はこの女性は僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。5日目、そして6日目の朝その感覚はさらに強くなった。このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと僕は単純にそう考えていた。ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。鏡のまえで何着も何着も試着してそれでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。そして彼女は「はあ~っ」とため息をついた。「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!愕然とした。それほどまで、やせ細ってしまうまで彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。そこに息子がやってきた。「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることがすでに大切な日常の一場面となっているようだった。妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。僕は思わず目をそらした。そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ寝室から、リビング、そして玄関口へと彼女を運んだ。妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら僕は例えようのない悲しみを覚えていた。そして最後の朝、妻を抱き上げたとき僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で自分の決心が揺らいでしまうのが怖くてそれを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出しオフィスのある上の階まで駆け上がっていった。気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。彼女を見た瞬間、僕は思わず口にしていた。「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめそして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を大切にしてこなかったからなんだ。今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉めワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。僕はそのまま黙って階下に降りた。見ると、花屋が目にとまった。僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。僕はふと微笑んで、言った。「そうだね、こう書いてくれ。」『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』その日の夕方、僕は妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて家についた。はやる気持ちで階段を駆け上がる!早く早く!妻のもとへ!出迎えてくれた妻はベッドで冷たくなっていた。。。。何も知らなかった。僕は、何も知らなかったのだ。妻が「ガン」であったことさえも。ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、妻がこの数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに気付きさえしなかったのだ!妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。彼女が出してきた「離婚の条件」は僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!自分亡き後、最愛の息子から僕が責められることがないように。毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって僕はまぎれもなく「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。幸せは大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、そんなものの中にあるのではないということを。

一杯のかけそば

【一杯のかけそば】
この物語は、今から35年ほど前の12月31日、
札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。
そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。


北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。
いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、
夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。
10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。
頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、
常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、
忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、
パートタイムの従業員を帰した。
最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと
話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、
2人の子どもを連れた女性が入ってきた。
6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア
姿で、
女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。


「いらっしゃいませ!」
と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。
「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」
後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。
「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、
カウンターの奥に向かって、
「かけ1丁!」
と声をかける。
それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、
「あいよっ! かけ1丁!」
とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。
玉そば1個で1人前の量である。
客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。
テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、
額を寄せあって食べている3人の話し声が
カウンターの中までかすかに届く。
「おいしいね」
 と兄。
「お母さんもお食べよ」
と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、
「ごちそうさまでした」
と頭を下げて出ていく母子3人に、
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
と声を合わせる主人と女将。


新しい年を迎えた北海亭は、
相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、
再び12月31日がやってきた。
前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、
10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、
ガラガラガラと戸が開いて、
2人の男の子を連れた女性が入ってきた。
女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、
1年前の大晦日、最後の客を思いだした。
「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。こちらへ」
女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、
「かけ1丁!」
 と大きな声をかける。
「あいよっ! かけ1丁」
と主人はこたえながら、
消したばかりのコンロに火を入れる。
「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ」
そっと耳打ちする女将に、
「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」
と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、
「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」
とほほ笑む妻に対し、
相変わらずだまって盛りつけをする主人である。
テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、
カウンターの中と外の2人に聞こえる。


「……おいしいね……」
「今年も北海亭のおそば食べれたね」
「来年も食べれるといいね……」
食べ終えて、150円を支払い、
出ていく3人の後ろ姿に
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。
商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、
北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、
九時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。
10時を回ったところで従業員を帰した主人は、
壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。
今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュー札が、
150円に早変わりしていた。
2番テーブルの上には、
すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。
10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、
母と子の3人連れが入ってきた。
兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。
2人とも見違えるほどに成長していたが、
母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。
「いらっしゃいませ!」
と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。
「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」
「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」
と2番テーブルへ案内しながら、
そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、
カウンターに向かって
「かけ2丁!」
 それを受けて
「あいよっ! かけ2丁!」
とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。
2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、
話も弾んでいるのがわかる。
カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、
例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。


「お兄ちゃん、淳ちゃん……
      今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」
「……お礼って……どうしたの」
「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、
8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど
……保険などでも支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの」
「うん、知っていたよ」
女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、
実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」
「えっ! ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ。
お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、
淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、
お母さん安心して働くことができたの。
よくがんばったからって、会社から特別手当をいただいたの。
それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」
「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! 
でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」
「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」
「ありがとう。ほんとうにありがとう」
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。
……あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきてたんだ。
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、
全国コンクールに出品されることになったので、
参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。
先生からの手紙をお母さんに見せれば
……むりして会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。
そのこと淳の友だちから聞いたものだから……ボクが参観日に行ったんだ」
「そう……そうだったの……それで」
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、
全員に作文を書いてもらいましたところ、
淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。
これからその作文を読んでもらいますって。
『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから
……淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ! 
と心の中で思ったんだ。
作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、
たくさんの借金が残ったこと、
お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、
ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。
そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいしかったこと。
……3人でたった1杯しか頼まないのに、
おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!
って大きな声をかけてくれたこと。
その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ! 
って言ってるような気がしたって。
それで淳は、大人になったら、
お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました! 
と言える日本一の、おそば屋さんになります。
って大きな声で読みあげたんだよ」
カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。
カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、
1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、
こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。


「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんが
お母さんにかわって来てくださってますので、
ここで挨拶をしていただきましょうって……」
「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」
「突然言われたので、初めは言葉が出なかったけど
……皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。
……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。
それでクラブ活動の途中で帰るので、
迷惑をかけていると思います。
今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき
……ぼくは恥ずかしいと思いました。
……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、
1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、
その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。
あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、
忘れてはいけないと思います。
……兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。
……これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」
しんみりと、互いに手を握ったり、
笑い転げるようにして肩を叩きあったり、
昨年までとは、打って変わった
楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い
「ごちそうさまでした」
と、深々と頭を下げて出て行く3人を、
主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
と送り出した。


また1年が過ぎて――。
北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を
2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、
あの母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、
2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。
北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり、
テーブルや椅子も新しくしたが、
あの2番テーブルだけはそのまま残した。
真新しいテーブルが並ぶなかで、
1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。
「どうしてこれがここに」
と不思議がる客に、
主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、
このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、
いつの日か、あの3人のお客さんが、
来てくださるかも知れない、
その時、このテーブルで迎えたい、と説明していた。
その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。
わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、
そのテーブルが、空くのを待って注文をする若いカップルがいたりで、
なかなかの人気を呼んでいた。
それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。
北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで
家族同然のつきあいをしている仲間達が
それぞれの店じまいを終え集まってきていた。
北海亭で年越しそばを食べた後、
除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって
近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。
この夜も9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を
盛り合わせた大皿を両手に持って入って来たのが
合図だったかのように、いつもの仲間30人余りが
酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。
「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達のこと、
互いに口にこそ出さないが、
おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう
「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま、
窮屈な小上がりの席を全員が少しずつ身体を
ずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。
海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。
賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、
入口の戸がガラガラガラと開いた。
幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。
北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない、
あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる薄
手のチェックの半コートを着た若い母親と
幼い二人の男の子を誰しもが想像するが、
入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。
ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。
女将が申し訳なさそうな顔で
「あいにく、満席なものですから」
断ろうとしたその時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて
二人の青年の間に立った。
店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。
「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」
その声を聞いて女将の顔色が変わる。
十数年の歳月を瞬時に押しのけ、
あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。
カウンターの中から目を見開いてにらみ付けている主人と
今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら
「あの……あの……、おまえさん」
と、おろおろしている女将に青年の一人が言った。
「私達は14年前の大晦日の夜、
親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。
あの時、一杯のかけそばに励まされ、
3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。
その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。
私は今年、医師の国家試験に合格しまして
京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、
年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。
その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、
おそば屋さんにはなりませんでしたが、
京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、
今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。
それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、
3人前のかけそばを頼むことでした」
うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと
涙があふれ出る。
入口に近いテーブルに陣取っていた八百屋の大将が
そばを口に含んだまま聞いていたが、
そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり
「おいおい、女将さん。何してんだよお。
10年間この日のために用意して待ちに待った
『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。ご案内だよ。ご案内」
八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は
「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」
仏頂面を涙でぬらした主人、
「あいよっ! かけ3丁!」
期せずして上がる歓声と拍手の店の外では、
先程までちらついていた雪もやみ、
新雪にはね返った窓明かりが照らしだす
『北海亭』と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。


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バカなことをやって
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大声を出さないために
みんなで

手話を習おう
手話なら対面でしゃべれますよね

良い考えですね

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お話していると

なんか寂しいですね
手話なら相手の表情も感じられ
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あなたも手話どうですか

え、手旗信号
1回習ったけど
素直に忘れた

モールス信号

テレパシー

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